2014年9月16日火曜日


永遠でない景色に身をゆだね、今という瞬間に沈み込む。

常々、実践する者でありたい、そう思ってきた。
時に、目に見えないものを駆使する事もあるが、その存在は自分にとっては確かなものである。まるで薄紙を一枚ずつ重ねていくように、この20年間、自分の感覚で検証し確実に再現できるものだけを積み上げてきた。

自分が施術者として受け手と対峙するときには、自分は宇宙に浮かんでおり、受け手のからだと自分の意識だけがそこに存在している。そして、宇宙にすべてを明け渡したとき、一筋の道筋、流れ(あるいは奔流のようなものかもしれない)のようなものが現れる。それは、ひょっとするとタオのようなものなのかもしれない。私はただその流れに従って、縦横無尽にからだを動かしていく。それは、宇宙とのダンスであり、受け手、つまり、素晴らしく宇宙的で繊細で高性能な人間のからだとの静かで躍動的なダンスでもある。

人体は美しい。その精巧さ、完全性、宇宙との相似性を目の当たりにする度に息をのみ、改めてこの世界を作った大きな力に対する畏敬の念を抱く。からだが本当の力を発揮したとき、多くの人は、自分自身の力に驚き、同時にそうした力が発揮されることによる自由を感じるのだと思う。地球上のすべての人は健康で幸せな生活を送る魂と肉体を宇宙から与えられている。しかし、私たちはまだ開いていないいくつかの扉を開ける鍵を見つけていない。

思い起こせば8歳の頃、毎晩のように母親にヨーガの指導を受けていたが、ヨーガはその当時はとても人に言えるような事がらではなかった。今ではヨーガをやっているというと健康志向であると思われるほどに社会は変化している。同じようなことが近いうち、瞑想に起こるだろう。魂における扉の一つはこれで開かれる。

次の肉体の扉はDNAだ。現在、DNAの解析により1000年前に自分がどこの村にいたのかわかるような、地理的に人口構造をトラッキングする技術が開発されている。こうした技術と情報の集積および解析により、自分が肉体的にどのような特徴を持ち、どのようなことに気をつけるべきかがよりはっきりとわかるようになる。

私は、さらなる次の扉を開ける鍵を見つけるために、また薄紙を重ねていく。その扉がどのようなものか、それについてはまだ輪郭がぼんやりとしていて、うまく説明することはできない。しかし、人間という魂と肉体が一つになったものと、宇宙における魂と肉体が一つになったものとが、互いに寄り添い、やがて一つになって、完全な調和を生む、その道程にある事は間違いないだろう。

今という瞬間と、過去、そして未来が一瞬にしてつながった、川辺の道を進みながら、そんなことを思った。